女の子で生まれた僕が男性として生きるまで㉗

Kazekaの代表の小山です。

女の子で生まれた僕が男性として生きるまで㉖の続きです。

今回は、両親にカミングアウトした時の話を書こうと思います。
前提として、カミングアウトは必ずしなくてはいけないものではないし、することが正しいとは限りません。
(※ブログ記事内に自殺の描写があります。)

自分がFtMであると気づいたのは、18歳の時でした。
携帯で、なんとなく調べたことがきっかけです。
性別に対する違和感に名前がついたことで、ぼんやりとした嫌だったことの輪郭がはっきりとしていきました。

膨らんでいく胸が嫌。
高い声が嫌。
女性として扱われるのが嫌。
性別欄の“女”に〇をつけなくてはいけないのが嫌。
生理がくるのが嫌。
女性らしさを求められるのが嫌。

“女の子の僕が嫌”

理由という力をつけて形となった嫌なことが、僕の前に溢れていきました。
FtMであることを知らなかった頃の方が、ずっと幸せだったんじゃないかな。
この性別で生き続けることの困難さを、理解してしまいました。
いっそ、来世は普通の人間に生まれ変われることを期待して、死んじゃったほうがずっと楽そうだ。
どのビルから飛び降りれば、楽に死ねるかな。

間違いなく、あの頃が人生のどん底でした。

FtMという言葉と一緒に、カミングアウトという行為も知りました。
誰かに自分の性別について打ち明けること。
僕は、誰に自分のことを知ってほしいのかな。
自然と両親の顔が浮かんできました。
この頃、両親とはとにかく上手くいっていませんでした。
性別に対するモヤモヤとイライラを全て、両親のせいにしていたからです。
”こんな身体なら産んでほしくなかった”
”普通の身体ならもっと選択肢の多い人生だったのに”
顔を合わせたくなくて、住み込みのバイトや夜の仕事をしながら、何度も家出を繰り返していました。
正直なところ強いストレスのせいか、この頃の記憶は曖昧なのですが、当時の僕を知る友達からは、いつ死んでもおかしくない状態だったと言われます。

死ぬ前に、両親にカミングアウトしよう。
両親のせいで僕はこんなにも生きにくいんだという、嫌がらせにも似た感情からでした。
両親との関係が良い方向に変わるのではないか、という少しの期待もあったと思います。
最期に振袖だけは着たほうがいいかな。
両親から女の子がずっと欲しかったと聞かされていたので、成人式には振袖を着てほしんだろうということは分かっていました。
せめて、それだけは叶えてから死んだほうがいいと思って、成人式の日に両親にカミングアウトして、そのまま人生を終わらせることに決めました。

しかし、成人式を待たずに、その日はやってきました。
家出を繰り返す僕の将来を案じた両親と、将来についての話し合いになり、もうすぐ死ぬだけなのに何を考える必要があるのかといういら立ちから、自然と口にしていました。
両親は最初少し戸惑ったような感じでしたが、病院でそういう診断を受けたのかと信じてはくれませんでした。
カミングアウトしたところで、何も変わらない。
淡い期待が絶望に変わり、無力感だけが僕の心を埋め尽くしていきました。

カミングアウトしてからしばらく経った頃、母からもう一度2人で話したいと言われました。
今さら何を話すことがあるのだろうと思いながら、身体は女の子だけど心は男性であるということを、淡々と伝えました。

しばらくの沈黙の後、目に涙を浮かべた母が
「ごめんね。男の子の身体で産んであげられなくて、ごめんね。」

思いがけない言葉に、涙が溢れていきました。
違う。違うんだ、謝ってほしいわけじゃないんだ。
この時やっと、両親のせいでも、他の誰のせいでもないことに気づきました。
誰かに責任を押し付けて安心して、自分と向き合うことを放棄していました。
両親はいつも僕のこと考えて、ずっと応援してくれていたのに、なんて最低なことをしてきてしまったんだろう。
目の前を嫌なことで覆いつくされて、周りが見えなくなっていました。
カミングアウトしたことで、両親がずっと僕に手を差し伸べてくれていたことに気づけました。

謝らなくていいと言うのも違う気がして、ずっと心の奥で思っていたことを伝えました。
「青色の絵の具セットを買ってくれたこと、すごく嬉しかった。好きな方を選んでいいんだよって言ってくれたこと、今でもよく覚えてる。」
一瞬驚いた顔をした母が、泣きじゃくりながら
「そんなの、当たり前じゃない。子どものしたいことを叶えるなんて、当たり前。私はあなたの母親だもの。」
母の言葉に、いろんな感情がぐちゃぐちゃになって、僕も涙が止まりませんでした。

言った言葉は消せないし、過去にはもう戻れないけど、今の僕がいるのは、あの時に見放さずに僕の手を握り続けてくれた両親のお陰です。
一生をかけないと、とても返せそうにありません。
死んでなんかいられません。

成人式の日、両親はまた僕の好きな方を選ばせてくれました。
スーツを着てネクタイを締めた自分の姿を見た時、涙が出ました。
本当に、ただ嬉しくて。
生きる希望を失って、真っ暗だと思っていた世界に光が見えた瞬間でした。
こんな気持ちを、僕と同じように性別に悩む人にも感じてほしい。
残りの人生を全てかけて、LGBTQ+の力になりたい。
どん底にいた時には見えなかった、20歳からの人生がそこにはありました。

20歳で死ぬ予定だった僕は、今日で26歳になりました。
6年追加で生きてみて思うのは、あの時死ななくて本当によかったということです。
これを読んでくれている人の中には、自分の性別に悩み、人生を終わらせてしまおうかと考えている人もいるかもしれません。
死ぬ以外の選択肢がない人に対して、「死なないで」というのは、あまりにも安易で暴力的な言葉です。
それでも、こんなの僕のわがままでしかないけど、どうか「生きてほしい」と思います。

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